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徒然日記:A.M.T

孝行息子

68歳の母を亡くした、かつてのMother comes 兼孝行息子
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 先日、親戚の集まりで母と東京に行ってまいりました。

奈良からくる叔父、叔母と札幌組の私たちは同じホテルに示し合わせ、滞在。


東京組とのメインイベント当日を軸に、前夜祭、当日の二次会と。偶然、杖を持っての嵩高い母の身動きを考えてとった部屋が大活躍。


無駄に大きいだけではないか?と、チェックインした時は感じた部屋だったが、奈良の叔父叔母との前夜祭、そして当日はその息子たちも加わり更に部屋での飲み物食べ物を持ち込んでのひと時に大いに利用価値を発揮。


今日は、タイトルが孝行息子。孝行息子について語りたいと思いました。


令和の現代でも孝行息子というのはいるものだと、奈良の叔父と叔母の長男T君の姿をみて感じ入りました。


いとこたちの中でも、彼はピカイチです。京大卒、現在大手総研会社勤務と、エリート街道を絵にかいた道を歩んでいるT君ではありますが、人間的に昔からなにか違うものを持っていました。

徳を持って生まれた人。というのが いるとしたならば こういう人のことをいうのだろうか。と、常に相手の立場、相手のことを思いやる気持ちに溢れていて、その振る舞いが、本当にやわやわと、押しつけがましくなく、彼のありかたで、示すものでした。


亡き父が、関西方面で、彼の弟の結婚式に出席した時、病院に運ばれる事態となりました。そのとき、彼は最後まで父の側を離れずに、付き添っていてくれていたと、帰宅した母は暫くその感動話を、至らなさの多い私、兄弟たちに語って聞かせました。


今回のメインイベントの後、叔父叔母の二人息子を加えてのホテルでの宴ののち、東京都内でありながらも、中心地から1時間以上は要する自宅に、湘南に住む弟と同じ時刻(おそらく夜9時くらい)に出発しました。


翌日は日曜日、働き盛りの彼らも、少しはゆっくり休めてよかったな。と、思っていたら

長男のT君は、高校生の長男のバレーの試合を観終わり、親の滞在するホテルに再び顔を出しました。北海道組の私たちはその日に出発です。ホテルの玄関まで皆で私たちを送ってくれ、その後はもう一泊する叔父たちとゆっくりと語らったのでしょう。

そして、なんと、翌日は人間ドッグを受ける日で、休みをとっていたからと、午後の便に乗る親のために浜松町でT君は待っていて、両親に飛行場でお寿司をご馳走し、見送ったと。ああ……ここでまた、T君の光が輝く。


わたしは何も、親を見送り、食事をご馳走してといった、その行為が立派というのではなく。

平日は5時に起き出社し、夜は10時過ぎに帰宅するという激務のなかにいる働き盛50歳になる息子が、高校生の息子のイベントにも参加し、さらに東京を訪れている親たちにも誠意を尽くせる。というその 淡々とした 忙しがらない 姿勢に心打たれて偉いなあと思ってしまったのである。


母とわたしが空港でお昼をとったときに、母親を見送る息子といった親子が隣に座った。

母親は、本当に嬉しそうだった。もう笑顔がこぼれ落ちそうなほど幸せそうだった。


母親にそんな顔をさせてあげられる息子は、本当に親孝行息子だなぁと、いい光景だなと思った。


母から電話が鳴ると、開口一言「忙しいんだよ~~~!」と出てしまう私を恥じる。恥じるが、ついつい そうなる。


電話が鳴る。「なに?」と出る。「らる畑にヨーグルトと牛乳頼んでるから……」と電話の向こうで声をキンキンと らる畑のヨーグルトと牛乳のことが頭から離れない彼女は、他の選択を取ろうとしない。ゆえに私の週のどこかに わたしの忙しさなどお構いなく、その要求をしてくる。

忙しいんだよ!と怒ると 余計に居丈高な様子で反抗してくる。


……子供をもったことはないが、子供に接するとはこういう具合なのだろうかと思う。


これからはT君を見習い、やわやわと 目の前にあるものを淡々と 落ち着いた視線でこなしてゆけば、親の満足した笑顔がみれるのだろうか。

わたしも 空港で送るだけなら できるのにな 一瞬 ふてくされた思いも生まれるが。

忙しいの一言で せっかく訪ねてきてくれた親を、空港で 見送ることなどせずに済ませる可能性があるほど、忙しいという言葉は、すべてを否定する力を持っている。

なるべく 使わないようにしようと 思うが ついつい 口に出る 忙しいんだよ! 







にっこりと

おもしろい人に遭遇した。

すれ違いざまに、素敵な髪の色!とある女性から声をかけられた。

ありがとうと お礼をした。


失礼ですけど、お幾つですか?と 突如 全く面識のない その人に聞かれた。


わたしは、ああ この人は、きっとわたしのことを自分より年上だと思いその質問をしているのだな。と、わかった。

そのときに にっこり笑って 通り過ぎてゆけばいいものなのに、わたしは律義に その人に自分の年齢を告げた。すると えええ わたしより年下なの??と とてもがっかりとした様子だった。

ごめんなさいね。 と 謝るわたし。わたし なぜ この人と話さなければならないのかな? と、思いながら 袖すり合うのも多少の縁 と 少し あちらの話に付き合う。

なんだかんだと自分のことを話されたあとで すてきねと一度は褒めたわたしの髪の毛の色を、うちの犬の毛の色とよく似ているわ。と言って、店内に入っていった。


おもしろい人だなぁと、目が点になりながら、その人のことを見送った。


リップサービスには立ち止まらず、にっこりと過ぎ去ってゆくべし。教訓その① と 心に刻んだ。


   

A Nice Time

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㋅7日のお天気に恵まれた土曜日に

スタッフとその家族たちとの集まりをスクールでしました。


料理をするときは 手がいっぱいで 写真を写せません。

でも なんとか ビーフタコス 出来ました。

アメリカの味に 少し近づけたかな。

アンドリュー元気にしているかな。


また 今度は生徒さんたちとの会を久しぶりに出来たらと思います。

宜しくお願いいたします。

Cloud

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このひと月ほど、諸々のことが一度で納まらなく。何度も見直しや、巻きなおしを図らなければならないことで四方埋もれてました。土曜日のメキシカンタコスのレシピもそのうちのひとつであります。


昨日の夕暮れ時の空は、一度でパシッと決まらない、もじゃもじゃとしたわたくしの心象風景をよく現わしているようなものでした。


空の雲をじっと みつめながら、これをどうやって表現すれば伝わるんだろか?

と 少ないボキャブラリーを絞り出していました。

Profound 深遠

ちょい違うか

abyss  depth... 深淵 このあたりか。


川底の藻がもにゃもにゃと漂っているような様子の空模様。その色が緑ではなく 藍色から白っぽい灰色までのグラデーションで成っている空。


スカッとブルースカイ、うっとりとするような茜色で染まる夕暮れの空とは程遠い、意味深げなトーンで覆われた空。


きっと地球をひっくり返したら、水の奥底もこんな風なのだろうなと 沈殿物が空の上にもあがってら。

まるで 私の心のように もにゃもにゃとした様子で。


ものごとが うまく運ばない時こそ もにゃもにゃ度合いが重なり、深淵な色味を生活にさしてゆくのだから、こういう日々も大切なんだよなと思うことにする。


樹木きちがいの夫が また 木を2本 庭に植えたいとずっと言い続けていることを、今年はついに実行しなければならなくなった。

一回目に 進めていた計画の 造園屋さんからきた最終的に届いたお値段は、当初伝えられていた価格より、冗談ではなく2倍近くするものだった。腰を抜かしながらも ジョークを交えながら、保留にする。

翌朝 午前のクラスがちょうどなかったので、トンプソンと二人北広島にある以前いったことのある印象のよかった造園屋さんに、駆け込んだ。

すると とてもいい理想通りの樹木と理想通りの価格の木に出会えた。


さあ ここから 悪い話は出来るだけ早くお伝えするをスローガンのもとにあかるく、申し訳ありません! とお断りの電話をする。 ここで 大きな疲労感を抱えている。


さあ 帰ってきた。市場が閉まる前に ダッシュで買い物に行った。その間、母のあれしてこれしてのリクエストにも応える。帰ってきた。 午後の生徒さん 自分の担当の方を待っていた。 そこで 気づいた。あれ? スマホがないよ。

あれ? どしよ? 生徒さんのYさんに ごめんなさん Yさん 私の電話鳴らしていただいてよい? と はいはい と 優しいYさん。電話 ああ 多分 お肉屋さんに忘れてきたんだわ。 と いいのいいの 明日行くから と 授業を開始しようとすると

「A子さん! いいですよ 私 自習してますから 市場のお肉屋さん2時で閉めるんでしたら、いますぐ行ってきてください! 大丈夫 ここで 自習してますから」

なんという優しい 女性なのだろう。 と涙が出そうになり。そのお言葉! いただきます! では 30分で戻れる算段で 戻ってから 必ず 1時間私の授業させていただきたいのですが お時間は大丈夫ですか? 大丈夫です! 誰かきたら 対応しておきますから 気を付けて行ってきてください! 

なんと 素敵な女性なのだろうか と イノシシのように車を走らすわたし。

市場は閉まっていた。が、後片付けの人は必ずいる。必ずや! と 裏手の方にまわり 大金畜産店のシャッターのあたりをうろうろしている私に声をかけてくれた 自然食店の

店主さん。 あの扉から入って、肉処理場にはまだ誰かいるから いっておいで。と。

なんとか かんとか 電話が手元に戻ってきて。 よかった これで 明日まで生徒さんに迷惑かけずにすむ。と、再び 今度はエゾシカのように車をとばす。


戻ると頑張って模擬試験のテストをこなしていたYさんが、A子さん 大金さんの髪の長い女性が寄ってくれて、電話は持ち出せいんですけど、肉屋にあるから安心してください。明日の朝6時からやってます。ってことづけていかれました。


あの いつも言葉の優しい人だなとすぐにわかった。 お肉屋さんに買いに行くと、必ず優しい言葉をかけてくれて、時々 世間話で 宮の森に住んでいて、ゴールデンレッドリバーを飼っているって言っていた人だ。と ありがたく思った。

朝の6時から3時までお仕事されて疲れているだろうに わざわざ立ち寄って、心配しているだろうからと 心配せずにと 時間をかけてくれる 人様の労力に頭がさがる。


さあ! Yさん がんばってこれから50分授業まいりますよー!と とても いい授業になったと (独りよがりに)そう思っている。


翌日 美味しそうなイチゴが果物屋さんで売っていたので、それを買って 大金畜産店に行った。お仕事で疲れていたのに、ありがとう。と、彼女にお礼が出来た。


それが先週のこと。


そうしたら 昨日 水曜日の夕方 5時半くらいに帰り支度していたら 彼女がスクールに顔を出した。あれえ^^! と 驚いたら

袋を渡してくれる。 ちょっと なになに かえって もうしわけない!と 美味しそうなパンが一斤入っている。これ 美味しいよ。 Satoコーヒーで焼いているパンなんだけど、オニオンやベーコンをのせて焼いても美味しいし。 この間のイチゴすっごく甘くて美味しかった。と 噂のゴールデンレッドリバーを乗せている大型バンがスクールの前に。ハンサムなご主人も乗っていらして ゴルフに行ってきた帰りなの。と、犬とご主人と彼女、とても幸せそう。

はじめて 彼女が 自己紹介してくれて 7年前に札幌にご主人について本州からやってきたのだとか。大学時代にロサンジェルスで暮らしていて。レッドリバーをみて スクールから はじけるように 惹きつけられて 寄ってきた トンプソンと英語で話してくれていた。


おもしろいなぁ と 思った。

ものごとが すっぱりと決まらないなかで 色々なことが起こってゆく。 魑魅魍魎 と 水の奥深くに沈む 藻のように もにゃもにゃと 広がってゆくような イメージを生活の中にもつ。


お肉屋でバイトする彼女に お肉のことを相談した。 アメリカンタコスなら ひき肉がいいですよ。 牛70 豚30くらいの割合で いいお肉をひいてもらるように (市場の大金さんのほう)店長に言っておきますよ。 

と、アメリカでよく作っていたから そのほうが安全です。と。


雲一つない 青空も 爽やかでいいけれど 色々なことが もやもやと あるような空模様もまた いいではないか。そう思えたのです。


余談ですが これまで 花をつけることの知らなかった 我が家の やまぼうし 初めて 花をつけました。 小さな小さな 花ですが 嬉しかったです。

 

It didn’t work...

牛の頬肉でのメキシカンタコス だめでした。

一日置いたものを 昨夜 試食しました。


ダメだ。こりゃ……と悲しくなりました。

頬肉は ねっとりとした食感が残ります。 違う方面のものなら いい味になるのでしょうが。

メキシカンの味ではない。と、がくり・・・

夜八時近くでしたが 予約していたお肉を メイルにて取り急ぎまず取り消させてもらいたい旨と

違うお肉を 翌日水曜日はお店定休日のために 木曜日に相談させてもらいたい。と送りました。


愕然としながら、どーすればいいの?と 考えました。 これだけの探求心が どうして本業にむかわないのか 不思議なくらいに 最近の自分は 人に出す食のこととなると けっこう粘着質なことに驚きます。


あ…… これ。 豚肉がいいのではないか? と 思いました。 間違いのない味が出来るのは 豚肉の上質なロース部分だ。 と、もう試作する時間がないから 本番ぶっつけそうしてみます。 作り方は 3日に載せたもので良いと思うのですが。 もうそれ以外 試す余地がない。




Tasting a reciep that I will cook for the party.

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 今週の土曜日に 新しいスタッフを迎えたということで スタッフたちと

メキシカンビーフタコスを囲んでの集まりをします。


わたしが メインのメキシカンタコスやサルサを受け持ち。主なビールやワインも用意をし

ダーシーがアボガトのディップ わかもりとかいうの

グレンが ワイルドライスのサラダ

ジェスが ベイクドビーンズ

カレンが ピーナッツバターのクッキー

レイチェルが飲み物

新しく仲間に入ってくれたジェイソンが なにか アメリカの料理

そして ジェミーは飲み物等

といった ポットラックスタイルで。


さて このメキシカンビーフタコス いまはアメリカへ帰ってしまった アンドリューが教えてくれたレシピを 日曜日に 試しました。

が、私には 彼の味は出せない。なにが違うのだろうか。肉をマリネしてから 炭火で焼くという あの独特の味は、マリネにしても彼ならではの味があった。

メキシカ系のお父さんの家に伝わる味。 そんな伝統の味を 日本で真似しようとしてもダメだ。こりゃ……と。

ずっと 色々 調べながら これなら いけるというものが YOU TUBEのものにあった。


それの作り方は まず マリネの概念を捨てければならなかった。

肉も これは 赤肉ではダメだと 一回目の試作でわかった。

大金畜産の店長さんに 相談した。 そうすると 牛の頬肉を勧めてくれた。 これは保証できます。 少し煮込むのであれば この肉がまず間違いないです。

昨日 600グラム求めて 夜 試した。

そのレシピはこうである。

トマト 玉ねぎ ニンニク 赤ピーマン ハルぺーニョ を けっこうざっくりと切る。

肉を塊のまま (頬肉の場合は 脂身を きれいに掃除したほうが よい) 焼き色をつけるように強火で焼く。

しっかり 焼き色がついたところに 上記の野菜をどさりといれる。

この時の鍋は なるべく 肉に対して ジャストサイズのものを選んだ方が煮込みやすい。

10分くらい蓋をして蒸し焼きをすると 野菜から水分がよい感じで出てくる。

さあ そこで 肉をひっくりかえす。

そして そこに クミンパウダー 肉600グラムだと 大匙2 オレガノ 大匙1 

黒コショウ を 小さじ1強

をふり また 肉をひっくりかえし 蓋をする。 再び 蒸し焼き

と 10分くらいたったところで 

蓋をあけ 塩 小さじ 2 砂糖小さじ 2 水 900ミリリットル を いれて再び

2時間 煮込んでみました。


これはいける。と 思いました。

そこに タコスを温めて サルサソース プチトマトを切り コリアンダーざく切りをいれ ニンニクをすったものでも 小さく刻んだものでも にライム塩にオリーブオイルだけで味付けし。 お好みで 辛いタバスコとか ハルペーニョとかをふりかけたものを添える。


これはいけるな と ばっちり。

ステーキを焼くのは ハードルが高すぎる。しかも炭火は無理だ。という場合は このレシピが いいなと思いました。


楽しんでもらえるといいのですが。


Hospitality Spirit of service or entertainer サービス精神

何処へ行っても、言葉がけがよくて、お友達を作れる人というのは偉いものだと、頭がさがる。


無理していないで、本当に人へのサービス精神があるから、本人は決して疲れない。そこが肝心なのである。とても会話上手で、人好きのするタイプの人と他人にうつっても、どこかで無理をしながらそれを演じていると、当の本人が神経を消耗してしまいある日突如、電池が切れるというようなことがあるから、社交も本人の体力、気力、諸々に見合わせてでいいのだろうなと、割り切りながら 第一印象、暗い人のままで…… そこからの努力もないまま存在しつづけていた。

が、ここ最近、これは自分の努力不足だな。と、気づかされるほどサービス精神の旺盛な人と会うことが重なっている。


人と会ったら会話を提供しようというサービス精神に満ち溢れている人は、他のことにも自分の出来ることを探している人が多いことに気づかされた。


髪の毛の寄付をしていたり、なにか世の中に出来ることを実践している人は、自家発電力が強いのだろうか。人に発する言葉、態度のなかに いい波動があるから、人を呼ぶ力がある。


わたしは人と話すことが苦手。人付き合いが苦手と 自分にポーズをきめて気取っている場合じゃないっしょ……と 自分が恥ずかしくなるくらい 前向きなんだろうなと、サービス精神に満ち溢れている人たち Full of hospitality spirit の方々には ホントに眩しさを感じる。かと、いって 自分が彼女たちの真似を辿っても、自滅の道しか目の先にはなく。まぁ とりあえず

お手本 Role model Good example

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今年は例年より温度が上がらないですねぇ。

寒い寒いと言いながらも、庭の草木は待った。が、利かない。


トンプソンの土木工事と、庭の草木と同時進行に何事が進めていくことで やっとなんらかの形がつくようです。


それでも庭の空間は、なんらかの手を加えると、雑草取りをしたり、土を掘り起こし腐葉土や赤土、堆肥を加えたりすることで、表情が変わる。

とはいえ、すこぶるセンスの良さを醸し出せるほどには至らなく。

これは 理由はなにか……を探るべく、庭のある家で オッ!と思うお宅の前に車を停め、しばし観察する季節となりました。


今年もやはり、この地区では、あの黄色い窓枠のお宅が群を抜いてぴか一。

なんでなんやろか? と、 ぼおおおおっと 運転席から眺めていると、庭仕事に出入りしていた家主さんと目があってしまい。にこりと会釈はしたが 不愉快に思われただろうか。美しい庭にみとれていたのです。おおっ!とか 独り言をいいながら。と伝えたい。


さて、色味のセンスと やはり背景に対するこだわりが Keyなのでしょうか。

目指すはフランス人のセンス。壊れた鏡を配置する必要はないと思うけど。一枚の絵のように、スケッチするように花を配置してゆくのですなぁ。それに加えて、竹でバックを引き立てたり、みえないように針金などを使って凹凸つけたり。土と光と、絵に仕立て上げるべくめりはりと、樹木、自然に対する愛情が、庭を天国に近づける……と、まだまだ新米数年生の身としては、遠い道のりにため息がでる。

それに、鉢をうまく使っているのもいいなぁと思ったり。


もう少し 札幌に雪の到来が遅かったら。せめても 春の到来がもっと早かったら。と思わずにはいられない季節です。


そとまわりの掃除

以前、住んでいた家のお隣の90代のおばあちゃまが、そとまわりの大切さをよく言ってらした。


お商売している家は特にね。なにがあってもそとまわりは清めないとお話にならないって私たちの時代は教わったよ。北海道でも昔の人はそう教えられたんだと、わたしは感心して聞いていた。


いつから、そんなことを言ってくれる人が少なくなっていったのだろうか。

せっかく食べ物屋さんをしているのに汚いゴミ箱が前に置いてあったり。傘立てにいつからあるのか分からないような傘がずっと置いてあるようなお店が名店とうたっていたり。


まず、上に盛ってゆくなにかよりも、整理整頓、清めることだと私たちは本能的に知っているのに、なかなかそれが出来ない。日々の暮らし、精神的に煩わしいことがあったりすると身体が思うように動かなかったりするから、その身の振り方は十分に理解できる。


家、店の前を掃く。水をうつ。汚いものを清める。その行為だけでいい筈なのに、なかなかそれを実践できずに、冬になってしまうのが雪国の宿命で、そとまわり掃除が身につく時間に限りがある。




Antique

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生きていたのなら、133歳くらいになった私の曾祖母は、小学校をあがるかあがらないかくらいの年に、石川県の田舎町、つばたというところから北海道のあづまという町にある親戚の荒物屋さんへ奉公人として、船と列車を乗り継いでやってきた。


日清戦争の時に繭相場で大損をし、多額の借金を抱えた曾祖母の親は、いちばん上の娘をお金を借りた親戚に売った。と、いうことになるのですね。


風呂敷を背負った小柄な少女は、まず、小樽港へ着き。

そこから列車に乗り、札幌の街灯りを最後にあとは荒野の暗闇の中を、あずま村へとひたすら走ってゆく列車の中で、遠くまで来てしまったものだなぁと涙が止まらなかったという話は、母から聞いたことがあります。


何故私の母がそんな話を知っているのかといえば、母は曾祖母に育てられ成長しました。

母の父親、(曾祖母の息子)は戦死し、彼女の母親は違う人と再婚するために嫁ぎ先を出ました。

残された母は、父親の生家でとても可愛がってもらって成長することが出来ました。


息子の娘、孫娘を食べるに困らせるだけではなく、教育もしてくれ女子大にまであげてることの出来た曾祖母という人は、あずまの荒物屋さんには子守、家のことをする手伝いとしてやってきたそうです。

が、数字、そろばんが良く出来て、頭がはしっこかったらしく、家の中にいれておくよりも店に出した方が使い勝手がいい。と、店主は思いました。


12歳だった少女が18の年になる頃には、お店の片腕として役に立っていたそうです。

そうしてある人と結婚をし、独り立ちしました。

数字に強かった少女は、商売の才がありましたが、戦争で頼りにしていた最愛の長男を失くしました。そして才のある分に見合う、敵の多い人生であったと私たちは想像をしています。

こんな逸話があります。

Y子ちゃんという親戚のお姉さんが、ある時まだ、曾祖母が健在で、それでも80を過ぎていたころ、白川郷へお友達と旅行をしていた時のことです。石川県から来ているおじさんたちが まだ うら若かったY子ちゃんとそのお友達に話しかけてきて、彼女たちが北海道からだと聞くと、「北海道から来たの? へええ ****という町なら、西川キクという婆さんを知らないか?」と、北海道=西川キクという速攻さを持って 尋ねてきました。

驚いたY子ちゃんは、それでもそのちょっと苦みの含んだ問いかけに、返答を躊躇しながら、「あの……すみません あの その人 私の祖母です(←彼女にとってはお祖母ちゃん)」と答えたら。 その石川県の金沢で呉服屋をしているというおじちゃんは Y子ちゃんよりも もっと 驚いて、それまでの話の方向性を、急遽転換させました。「そ…それは驚きだ。いやあ お元気な方で、私たちの中では、なかなか いや 勉強になる方なんですよ」と とってつけたようなことを言ったのだとか。


米屋と呉服屋をしながら、北海道の空の下を懸命に知恵を働かせて生きた痩せっぽっちの曾祖母は、お米を(その当時は荷台に積んでの)取引の際に、早く荷台から下していい場所を陣取った方がいい条件がつくことを知っていて、そうするには 荷台から下してくれる人手の大切さをよおく分かっていて、お菓子やなにかを必ず持って行き、一人一人に手渡しし、どうかお兄さん方、次回も西川の荷台をどうか贔屓によろしくお願いいたします。と、したのだとか……

同業者では、当然 面白くないと思う人たちも多くいたと Y子ちゃんと二人、苦笑いしながら、その話をしました。


その曾祖母が、いまから80年以上前に、なにか見栄をはる出来事があったのでしょうか。写真のなかの輪島塗の漆器を数点求めました。

そのひとつが曾孫の私の手元にきました。


当時、高価であったかどうかは分かりませんが、現代はもう、このような品は創れないな。ということは手にとり、感触で分かります。作り方の工程が素材から違うのでしょうか。感触が現代のもののそれとは違い、存在感があります。


曾祖母が、石川のつばたという小さな村から、北海道にやってき小さくはありますが店を構え、知恵を働かせ、子孫をつくり、子孫を持たない種がここで絶えてしまう私の処へこの品が来て、彼女が 晩年、つばたは富山寄りだったから、色街へ売られないですんだけれど、これが金沢に近ければ色街へ売られていたんだろうか……。と、呟いたことがある。とか。

でもなぁ おばあちゃん おばあちゃんは 色街へ売られるほどの器量がなかったから大丈夫だよ。と、台所でときどき パンやお菓子などを入れるこの漆器に語りかけます。



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