徒然日記:A.M.T
スリランカ
年末にスリランカへ思い切って行きました。
怖がりの私には勇気のいる旅でした。
無事に帰国し、スリランカでのことを生徒さんたちへ伝えて 早速数名の方たちが、旅のリストにいれられたというくらいに印象深い国でした。
紀元前からの歴史があり、シンハラ王朝からのものがジャングルに歴史と共に埋没し、ポルトガル、フランス、イギリス領の植民地時代を経ながら イギリス人のベル氏によって歴史的遺跡が発掘されていった国。
近年になり、内戦。スマトラ沖地震の津波による大被害。そしてまだ、記憶に新しい大きなテロ攻撃。そして、大統領追放のために起こった暴動。
それだけの出来事が続いたのだから、外務省の危険度指数を調べました、いくらなんでも。
しかし 危険レベル1 と記されているだけではありましぇんか…
おねがい 3と書いて そうすれば あの勇み足だった 風来坊のトンプソンも行くの断念するから…と 出発のギリギリまで願っていました。
が・・・ もう 前日になりましたら 腹が座りました。人間は死ぬときは死ぬ。あきらめよ。
と… 千歳からタイへ。タイからスリランカへと、めちゃくちゃ出発時間が遅い飛行機で
スリランカ到着したのが夜中の1時。
なのに なのに 空港は明るいぞ。明るくしかも活気づいている。なぜだ? 普通 空港というのは夜中は閉鎖しているものじゃないのか? に、しても人々が日中と同じくらいのレベルで活動している真夜中ってすごい。老いも若きも身体を使ってカートを運んだり。掃除したり… 目を丸くしていると笑顔の柔和なスリランカ人男性がThompsonという名前を書いたプレートを掲げて走り寄ってきた。 きれいな瞳に真っ白な歯。私と同じくらいのその人は サンマさんという これから4日間、運転手と一緒に私たちを歴史あるところへと連れて行ってくれる通訳ガイドさんだった。
ときどき 円山クラスなどで紅茶販売をしているパティさんというスリランカの方からの紹介で、通訳のサンマさん、運転手のウポさんとの数日間が始まった。
真夜中の道は静かで、何も見えなかったが 一泊目のホテルはリゾート型なのか コテージが点在しているスタイルのホテルだった。
朝 目覚め身支度をし、朝食のコテージへと向かう。 女性が葉を集めるために掃き掃除をしていたのが印象的だった。一生懸命作業に没頭していた。
迎えてくれた朝食の席での手作りのフルーツジュースは格別な味だった。
手で絞ったものというか くだいたもの のような まだ実のあるようなクラッシュジュースだった。冷えた 西瓜のジュースが うっそ…というくらい美味だった。
ペストりーや、万人向けのコーナーもありながら やはり カレーコーナーが多くを占めているブェッフェスタイル。 豆のカレーと お米で出来た素麵のようなものの組み合わせが スリランカの朝食スタイルらしい。
果物が驚くほど美味しかった。パパイヤも季節じゃないけどねといいながらも日本で食べたパパイヤの味とは違い、風味があった。 バナナも、生きたバナナって こんなんだったの? と こんなバナナが日本にあったら、バナナを黒くする前に食べきるだろうに。と思ったほどだった。 自分が気に入ったのは背丈の小さい サワーバナナと呼ばれる類のものだった。
8時半、真夜中に自分たちが手配した自分たちの宿で、床に就いたはずのサンマさんとウポさん。もう元気にスタンバイしていた。
ホテルの荷物を運んでくれるような人たちへの チップの相場が ピンとまだきていない自分たちは 慣れない手つきでチップを このときは渡していた。
おそらく このチップは 200ルピー(スリランカ) 日本円なら100円くらいでいいみたいです。
さあ スリランカの道路事情。 ほとんど一車線。 その中で トゥクトゥク(あのバイクを改造したようなもの)、自転車、トラック、バイク、そして普通自動車が混在しながら前に進んでいかなければならない。そして 大都会でない限り ほとんど 信号をみなかった。 ということは 道路は 道路はですよ 法治がされていないってこと…なのでしょうか。 これだから だれかが 悪いというのではなくて 全て自己責任。そして一車線で 前にトロイ 運転の人がいる際は それを 一車線の中で追い越してゆくのには それぞれが サーキットドライバーにならなくては 前に進まないということ。
ビュンビュン追い越す 追い越され もう すれ違う車の存在がすぐ隣だなんてざらで
ある時など、反対車線から追い越してゆく大型トラックが車の目の前に来た時には、覚悟を決めましたが。 ウポさんはエッジの効いたハンドルさばきでキュッ!と左にきり… ギリギリ、セーフ。 ひぇ~~~だのきゃ~~~だの言っていた自分も、この時ばかりは無言でしたが。それ以後、慣れというのは恐ろしいもので もう、恐怖心のラインがかなり下がったのか…あらゆることに動じなくなりました。スリランカの交通事情に少しなじんだと思います。
しかし、いま考えると 出発の直前に、アメリカ軍で飛行機も操縦していた経験のあるジェスさんに、飛行機事故の危険度について尋ねたところ。首を振りながら 多分 この日本という安全な国で車で跳ねられるより、飛行機事故にあうチャンスは少ないよ。と言っていたことを考えると…
あのスリランカで、どれくらいの自動車交通事故はあるのだろうか? と、調べるのも怖くて まだ 調べていません。
まずは 本日は これくらいにしておきます。
また おって 紀行文 記せたらと思います。
風邪退治
風邪大流行りですね。
大人が大打撃なような。
私も先週の土曜日のあたりに 鼻が乾き始めました。
これはいけない。の、兆候。
帰宅し。その日はそろりそろりと料理もほどほどに風邪薬飲んで早めに寝室へ。
日曜日 鮭のアラで粕汁をつくりました。
まだ 一触即発な様子は否めませんが
絶対に風邪はひかん。と決めているゆえに ひくくぁけにはまいりません。変な日本語になってしまいましたが
どうか 皆様 お身体くれぐれも 用心 養生 お運びください。
A Happy New Year!
あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
2025年は1月4日よりスタートをきっています。
本年も皆様の英語の力になれるよう努めてまいります。
いい一年を刻まれますように。
Thompson International
Long time no see(2024.10.16)
すっかりとご無沙汰をしておりました。
HPが 変になってしまったことと、個人的な提出物の締め切り日がおしていたことと重なり、すっかりとブログ更新をせずに月日が過ぎておりました。
やはり、あれですね なにもしないでいると あっ!という間に、HPの なんというんですか?あれ 順位というのかしら
なにも仕掛けをしていないので なんか こう ほこりに埋もれた感じになるんですね。
動かしていないと、停滞してしまう感じというのでしょうか。
HP更新とは別に、個人的には色々なことがあり、ああ 世の中というのは広いのだなぁ
そして 色々な世界で活躍されている人たちがいらっしゃるのだなぁと刺激をいただけるそんな集まりがあったり。
また、先日面白いことがありました。
このシーンは この面白いことからかなり昔の話です。
ずううっと前になるのですが、歯科医院で、こんなシーンをみたことがありました。
予約で埋まっている医院で、コーディネータ? 助手さんのような方が、次の予約を、ある患者さんと打合せをしていたのです。
確かになかなか予約が思うように取れないんですよ。(聞こえてくる会話によると)***日は?と聞くとその日は予約が埋まっていて、じゃあ***日は?というとその日は院長先生が出張で…という具合に。
それで その声に特徴のある女性の患者さんがついに、
「…あなたねーえ、それならはっきりと最初からこの日しか予約は伺うことは出来ませんが。と、最初からそう言えばいいじゃあなあい?」と意地悪うな口調で、キレたのです。
20代の助手さんはたじたじとなり、「は…はい。確かにそうですね…申し訳ありません」と声も虫の声の様に小さく小さく縮こまっている様子です。
声だけのやり取りしか、待合室で座っている私には聞こえてきませんが、その患者さんの声の様子からいくとおそらく自分と同じ年か、もう少し上ってあたりかな。と、自分までもが縮こまる気持ちで聞いていました。
「そうよ~~~ こっちだって時間が勿体ないじゃあない?」とその声の持ち主はいよいよと意地悪さが高まっている様子。
そのくらいにしておけよおおと私、心の中で祈ります。
そして その患者さんは、自分に有利な主導権を握れたと確信したのか、私はこの日と、この日しかこれないから、なんとかしてくれないかしら? と畳みかけるように攻めてゆきます。
そして、治療の歯を早くフィニッシュしたいから(おそらくインプラントか被せものなのだろう)、一番早いプランではいつになりそう?なんとか技工士さんをそう仕向けてほしんだけれどぉと…そこでその声に意地悪なものを含んだ持ち主が…いまがそうねぇAugustだからぁ…と八月をあえてAugustと言い。
「はい。August の次はナニ?」とその若い女の子に不意打ちをかけるように問いかけるのです。
その子は突然そんなこと聞かれたって即答できるわけないですよね?
涙声になって「…あの…え?え?」とシドロモドロになっています。
私は思わずSeptember!はいSeptemberの次はナニ?とその女性患者に問いかけたくなりました。
するとその人ももうその辺にしておこうとでも思ったのでしょうか、声にたっぷりの笑みを含めて「ウフフSeptemberぁ。おぼえておきなさいそれくらい」と言い放ちました。
その、相談室から出てきた女性はとても目立つタイプの、おそらく美人の部類に入るタイプでした。
せっかく美人なのに…そうやって色々な人と戦って来なければいけないような環境で生きてきたのかな。
にしても弱い立場の人に意地悪って…してはいけないことだな。と思いました。
意地悪はいけない。
しかもこんな低レベルな意地悪はするべきことではないのにな…と人間、我慢をすることを忘れるとこうも低次元なところまで自分を貶めてしまうのだ。気をつけよう我儘は控えよう…と身震いしたものでした。
そして昨日、その声の主と久しぶりに会いました。
その歯医者さんではなく、あるところで会いました。
ブランドのサングラスなどがとても似合うタイプの、相変わらず華やかな美人でした。
ある会員制のところで、みかけたのでおそらく今後も、時々は、すれ違うこともあるのでしょうか。
彼女は私のことなど もちろん 知りません。
彼女はあれから変わったのでしょうか。
それともそのままキレてしまうと意地悪をしてしまう癖は持ったままなのでしょうか。
私はどこかで彼女の逆鱗に触れ、怒らせ、私に意地悪をしかけてきてOctoberの次はナニ?と聞いてくれることを夢見ているのかもしれません。
そのときのためにも 語の特訓をしておこうと心に決めています。
女ざかり(2024.08.28)
円山動物園と北海道神宮の間の裏山道に抜けるあの道を、ゆっくりと車で降りてきていました。
球場のあたりの雑木林の中を小さな子供を連れて歩いている女性がいました。
遠目から、銀色のスカートをはいているのが映りました。
銀色?と 自分の目を疑いました。銀色のロングスカート、けっこうボリュームのある。
うっそでしょ?…と、自分のファッションの常識範囲の中では受け入れがたく、近寄りながらもすんなりと受容機能が働くまで時間がかかりました。
いくら老眼が進み、運転用の眼鏡は必要ないと言われた自分の目でも、それこそ目を疑う気持ちで、信号に近づく彼女に近づいてきました。
運のよいことに車道が赤になりました。車を停めて(とめて)彼女をゆっくりとみることが出来ました。
本当に銀色の長いスカートを身に着けていました。遠目から見たときは、どんなイカレタ感じの人がそんな無謀なファッションをしているのだろうか。と、一瞬拒否反応の動いた目でみたその女(ヒト)は、とても美しいひとでした。
ファッションが好きな人なのでしょう、シルバーに光り輝くたっぷりとしたスカートに、白いぴったりとしたTシャツに白いベースボールキャップ。
小麦色の焼けた肌は若々しく、小さな子供の手をひいて颯爽と歩いて行きました。
銀色と、白と、そして小麦色の粒子が目の前を爽やかに、その暑い空気の中を通り抜けるように去っていきました。
私はその粒子を素直に目で追いました。
爽やかで、美しく、そして ああ 女の盛りだなぁと首を横にしてまでもうっとりと眺めていました。
車道は青になっていたのでしょうか。
後ろに車がいなかったから良かったものの、クラクションを鳴らされていたのかもしれません。
それくらい長い間、私はうっとりしていました。
30代の女性は、思いっきりお洒落を楽しめばよい、そして自分の女の盛りを十分に享受した方がいい。と、その季節を過ぎてみると本当に心からそう、思います。
30代はきっと色々と大変なこともあるかと思います。思い悩むことも多い季節であるだろうし、ミクロにみると苦悩に満ちた毎日なのかもしれません。
おそらくおそらくですよ…その苦悩も30代を美しくさせる美容液に繋がるのかもと思います。
苦悩に満ちた50代は心配になるけれど、葛藤に苦しむ30代というのも影が光を強調するようでいいものなような気がします。
全て光のあたる面だけで生きてゆこうとする人にも、屈折した考え方しかできないと、自分に悩む人にも、30代は公平に与えられ、その季節の中で光と影をきれいに美しく描いていける時にいるのですよ。と、私などメガホンを使って言いたいくらい。
お洒落して、美しくして、私たちの目を楽しませてください。
そうするとみている私たちも楽しくなってあれいいな買ってみようかなとか思ったり。
社会全体が美術館のようになればいいのになぁときれいなものをみると嬉しくなるもんですよ。
秘すれば花(2024.08.20)
けっこう深刻な歯の治療を始めて、8年近くが過ぎようとしている。
時間のかかるもので、先生との出会い、そして手術への決断等、また時間をおきながら治療を進めていかなければならなく、気が付くと、父が亡くなってからと同じくらいの月日が経っている。
が、これもやっと10月くらいには、ひと段落つく希望が生まれ、気持ちも少し前向きに明るくなりつつある今日この頃です。
8年近くもずぅーっと暗い気持ちでいたわけではありませぬが、まぁ気持ちが晴れ晴れとしたということは数えるくらいしかなかったのでは?と、ここにきてみて振り返ると けっこう身体的にシンドイものでした。
その月日のなかで 大病をした人の気持ちに、ほんの少しとは自戒しながら、それでも少し寄り添うことのできた気もし、また、これはある発見のひとつに、歯の治療過程にあたり見た目がどうとかこうとかよりも、口内の違和感から自然と口が重くなり、話し切る自信がなくなることから、自ずと黙る言わない。という行為に繋がりました。
言葉足らず、情報伝達不足は仕事のうえで大変な失礼にあたることは重々承知していますが、プライベートでは喋らないということは、これはとても大切な行為だったのではないかと…
いいだけ無駄にだらだらと垂れ流しにしていた過去の発言をもう一度かき集めて何かの袋にいれてどこかへ捨ててしまいたい。
いや!無かったことにしたい。と、口から出た言葉の大切さに気付くのが歯の治療と共にというのが、情けなくもほんと、そうでありました。
かといってこうやってどうでもいいことを書きつらねヒンシュクをかってしまう自分はとめられないのですが。
こういう人を自己顕示欲、自己主張が強いと言ってしまうのです。おそらく。
池波正太郎さんという作家が晩年無口になったといいます。
これは病気をなさってからとまた、歯の具合が悪くなってから人と話すことが億劫になり、不機嫌なことが多く、同時に寡黙になられたとか。
池波さんくらいのヒトならいくら話されても、ありがたく多くの人は傾聴したでしょうが、普通の人は少し黙るくらいでちょうどよいのでは。
秘すれば花とはこういう場合に使ってもよいのでしょうかと思いました。
特にお酒の入ったときとかは、お酒の入っていない時よりついつい滑らかに出てきてしまう言葉を70%くらいまで抑えて削り、人の話に耳を傾ける。
自分自身では少し物足りないくらいの…、そういう行為に努めたいものです。
それが自然に出来るようになればいい、ああ出来るようになれますようにと祈るばかりですが。
思い起こせば、人間関係のなかで友人だと思っていた人に対する賛同できない点、または感性の違いからくる不愉快な感情などを口にしてどうするのか?と、これまでの自分なら、言わないとギクシャクしてしまうと、相手に直ぐに深く考えもせず伝えたような行為も、口にするのも面倒だと思っているうちに、いやまてよ、言ってギクシャクするくらいなら言わないでギクシャクしていた方が余程良いのではないか?と、そのうちグレーのゾーンに落ち着き、ああ 言わないでよかったのかもしれない…と、最終的には至ってしまうことが、ずっと口の重い人でいれる利点だと思います。
そして黒でもなく白でもない振る舞いを、生まれて初めて意識して試みると、あれ?これって自分もおそらくある人からそういう扱いゾーンにいたことが多々あるのでは?と白と黒としか知らない自分からすると愕然と、ハッ!と背筋が寒くなり、精神的にもゆっくりとブロウが効き、改めて自分の言動を反省する気持ちになりました。
しかし不利な点は、口の重い人はどこかで発散をしないと、なにか神経の病にかかってしまうのではないか?とも思ったりもします。
発散型でないと神経を病む。これが私の出した結論でした。
父の方の血統がそういうタイプが多く決して人に自分の心のうちをみせない、曝け出すことを恥としている。
なんだかイギリス王室の掟のようなことを信条としてました。
私の知る限りでは父の母、祖母が特にそういう人でした。
美しい人でした。
そして柔和な顔で 祖父の仕事に一役も二役も買うことの出来る よく出来た妻であり 母でありました。
祖母の口癖は、みっともない真似は例え、夫にも子供にもみせたくなかった。と、なぜか晩年孫である私によく昔のことを話して聞かせてくれました。
他人の悪口など口にするのはみっともない。
そして 自分の実家の恥となるようなことは一切家族に知らせなかったというから閉ざされた口元もここまでするのには、並の根性ではないな…と孫の私に思わせた。
晩年はそれでも色々なことを孫の私には話して聞かせた祖母は、あれは いったいなんだったのだろうか?…と、おそらく残り時間が少ないことと、体力の限界があって黙していることも疲れたのかまた、または、おそらく、パーキンソンかなにかにかかっていたのだと思うのです。
当時はパーキンソンという診断がつかなかっただけの話であり、パーキンソン病の特徴に、ある時期独白のようなモードに入る。と、父の症状をみて、祖母もそうだったのでは?と思いました。
父も祖母も口に嗜みのあった人たちでした。
だから 同じ神経の病気にかかったのかはともかく、母かたの親族たちはおおくが100歳近くまで神経系を病むことなく長寿でいれる。
また、いれたことはあれはみーんな発散型または、愚痴をだらだらか口から適当に人を批判し勝手なことを言い、血族集まってはああだこうだとお互いがお互いを批判し合い、ちびくろサンボのライオンがくるくる回って走っているうちにバターになってしまうといったような、もう、みんながバター同化同レベルバタバタそんな感じです。
バターになり長生きするか。
孤高な花となり、神経を病むか。
融合できるケースを知っていたら教えてください。
どうか。
Listening comprehension(2024.07.11)
Listening comprehension リスニング力。
これを鍛えるのは、どのレベルでも、残念ながら、大方の人はボンヤリ聞いているだけでは難しい。
私の場合は、目、耳といった感覚器官がエリートと呼ばれる人の半分あたりを位置しているためにぼんやり聞いたままだと真の意味を理解するのに紆余曲折、10年くらいはかかるはず。
耳の良い人は、どうやって音をひろえていくのか分かりませぬが、まず、CNNニュースなんてぼんやり聞いてたって、何言ってんの?がずうっと続くのみです。
そんな私が、ニュースの英語を即座に通訳してゆくというクラスに身を置いて公開処刑されるような思いで、練習を重ねておりまして。
そのさなかで、何度聞いてもわからない拾えない言葉。
ニュースの言葉など一語一語全て拾って聞き取るというようなこと日本語でもしない人間がですよ。
それをいきなり英語の場合は全て聞き取れ一句一句もらさず通訳するように。との指導を受けているのです。
はっきり言って、拷問です。
昨日は正直言ってもうやめたいと真剣に思うほど、落ち込んでました。
「トンプソンさんは、聞き取りが甘すぎる。ニュースを普段、みてますか?」と先生。
わたし 「みてません」と言うしかなくそう言いました。
「え??」と絶句する先生は、次の言葉をそれこそ拾えなく…
「いえ、あの、流す程度にはつけている時もありますが、このような状況下でみるということはないです」と私は付け足す。
「スピーカーをつけて聞くと、聞こえてきます。私はそうしています。いま一万円くらいでスピーカー買えますから、ぜひそうしてください。あなたの場合はせっかくすごいリスニング力が育つ環境に恵まれている中にいながら、あまりにももったいないことをしている!」…と、余程腹に据えかねた挙句といった具合のお厳しいお言葉。
一万円のスピーカーかぁ…先生は自己投資につながるけれど…
あ確かトンプソンが持っているな。でもその前にイヤフォンでまずしてみるかと、確かにイヤフォンをつけて聞き取るとアメリカ南部あたりの人の、つながってくる言葉でも、少しずつ、拾えるのは確かだと思いました。
そこまでやってやっとの思いで、人間の発する言葉を拾いとり、ニュースで羅列される言葉を出来るだけ多くストックして、その時のために刀を研いで研いで、通訳者の人たちは頑張っていらっしゃる。
通訳者になる夢など、微塵もないのにそこに席を置いてしまっている自分に問いかけた。
やれるだけやってみるしかない。と、スピーカーはともかく、イヤフォン繋いで全て聞き取ってみせる食いつきでやってしんぜましょう。と。☚何語だ☚?
…と、いうわけで皆様にもこれを伝えたかったのかもしれません。
聞き取りの精度をあげ、分からない単語は文字を出してその意味を調べて、そして 日本語に訳したものを 次は英語に言い換える。
これだけの訓練を重ねると、少しずつですが今より明日、明日よりその後、と、少しずつ少しずつ伸びてゆくことは、この落ちこぼれの私が保証します。
でも、一つだけ、英語をいくら話せてもどうしてもその言語を話す人たちに嫌われてしまう人というのがいます。
そういった方は 大方 自分が話すことだけに意識を集中してしまう傾向があるように思います。
リスニング力を上げる目的は相手の話を聞き取る力を上げたいからなのです。
どんな込み入った話にもついていける。
数字のはなし、政治の話、どんな内容の話も一語一語多くを拾えていける自分をつくりたいために、リスニングに力を注いでいると思えばがんばれそうです。
土壌改良 Soil Improvement(2024.06.19)
やっと、前の家から持ってきたバラたちが花をつけはじめました。
去年は移植はしたけれど新しい環境に無理があったかな。
そのまま置いてきたらよかったかな…と申し訳ないことしたなと思っていたバラたちが今年は咲き始めました。
去年はひたすら土壌改良につとめた甲斐がありました。
土を掘り起こし石をとりのぞき網にかけ堆肥、冬の薪ストーブで出来た灰と腐葉土を入れて作った土を作ることに専念した一年。
それでも木が2本淘汰された。
そしてダメでもともとと思って持ってきた木の数本が新しい土地にあったのか、生き生きと、前よりもぐんっ!と成長してくれたり。
フェンスをトンプソンが建てたおかげで風の向きが大きくなったのか、これまで花をつけたことのなかった沙羅双樹の木に花がつきはじめたり。
面白い現象が多く起きた。
バラも咲いた。
一番花は切らないほうがいい。
明日の朝に切り花にしよう。
楽しみだ。
家(2024.06.18)
神宮祭の頃、札幌で好きなお宅を外から眺めるために見回って車を走らすことが恒例です。
札幌市内に、自分で知っている限りの数になりますが、好きだなと思うお宅が5軒ほどあります。
そちらを毎年、この6月になると どこかかしか見て回る習慣があります。
理由は、お庭のよい季節。
今年はどんな感じで励んでいらっしゃるのだろうか。と、参考にしたいのと、自分自身の家事のマンネリ化を避けるために喝をいれる為でもあります。
自分が好きだなぁと思うお宅は、立派な家とかお金がかかっているとかそういうことだけが理由でないような気もします。
5軒のお宅の中には、ごく普通の一般的な造りのおうちもありますが、5軒が5軒、みなさん、そこはかとなく暮らしを楽しんでいるのがうかがえるそんなお宅たち。
あるお宅は、渋いグレーのコンクリートの外壁に、黄色(それも選びに選び抜いた黄色、マスタード色 品の良い黄色)を窓枠そして数か所の扉に使用していて、カーテンのタックのとりかたも贅沢にとって窓辺から静寂さを醸し出している。
几帳面な人が住んでいるのに違いないと思う。
家周りは、雑草が生えていなく家の前に置いた二つの茶色い甕には、パステルに色づいた花が植えてある。
お庭は、家の持つ静寂な空気に程よく色合いを添える。という具合のタッチ(このタッチ具合がすっごく微妙なのだ)で、淡いのに色味の持ってゆきかたが、これもまた、選んでいるなと思わせる花を選んで植えている。
センスの良いお宅だなぁと、いつも感心してしまうお宅。
男の人が家周りに関しては主導権を握っていると感じさせる家。
悔しいけれど、男の人のセンスの良い人には敵わないと思うような人が、世の中には大勢いる。
もう一つのお宅は、白い壁とガラスと、そしてシルバー色のスチール素材(今風なんだけれど、それだけではない印象を持たせる)を使ったお宅。
白い壁、ガラスで出来た風除室を引き立たせるのに、トロピカルなビビットカラーの花々の鉢植えを毎年、賑やかに飾っているお宅だった。
今年前を通ったら、表札がなくなり、そして目に鮮やかなお花たちは飾られていなく、植木も元気がなく、持ち主を失うと、家は本当に精気を失うのだなぁと思った。
きれいに、楽し気に、一生懸命に家を、暮らしを楽しもうとしているお宅からは、なにかいい和音が流れてきてついつい走らせている車を停めて見入ってしまう。
庭仕事が好きではない人もいるから、無理強いは出来ないけれど、土いじりの好きな人のいるお宅は木も花も嬉しそうだ。
全てのものは生きているんだなぁと、風も生きているのではないか…と思うほど、風の向きで、対流で、木の成長も変わったりするのを目の当たりにみると、生きる、成長する、そして終わりを迎えるという絶対の真理を、小さな小さな庭の中の小宇宙で、体感できるのだから。
Nightmare(2024.05.08)
GWの旅の疲れのせいだろうか…ここ最近 後味の悪い夢ばかりみて起きる。
枕の向きが悪いのだろうか。
後悔の諸々の出来事が出てきたり、父から叱られる夢であったり、またそれが結構ありありとリアルで…今日こそはいい夢みたいと思いながら眠りにつく。が、いつも惨敗の結果でうなされる夢ばかりみているから朝起きても今一歩疲れがとれない。
九州の旅は、終わってみたら、行ってよかったとは思うものの、根が旅好きではないから家でガーデニングしているほうがやはり幸せと、無事に帰ってこれたことに感謝しながら育てたバラを玄関先に飾り悦にはいる。
GWは念願の吉野ケ里遺跡、祐徳稲荷神社そして平戸 大河内山をめぐってきました。
吉野ケ里遺跡の弥生時代の人のマネキンがすご~~く力のはいったもので最初の数体で力尽きたのか最後の方の数体はもはや顔のない簡略化したものであったのが残念。
もっとみたかったなあ、あの魂を入れた作品。