徒然日記:A.M.T
挑戦するということ…
受験の季節ですね。
挑戦し、受け入れられ 涙流す人もいる。
挑戦し、違う選択をしたほうがいい。または 次にがんばりなさい。と提示される人もいる。
この季節、とても とても 切ない気持ちになる。
いや… 年を重ねるごとになってきた…といった方が正しいかもしれない。
私自身は、超難関の学校を受験した経験もないので知ることはなくいたけれど。
ある基準の学校に入学させるために、ふるいにかける試験というのは
3年間または4年間の限られた時間のなかで学校の授業についてこれるのかどうかを視るためのもの、実に厳しいことをおっしゃっていたし、いるのだな。と、はっきりと分かるようになってから、視線を落としたくなるような切なさに襲われるときがある。
どうしたって受け入れてもらえない片思い。
どうしたってかなわない夢。
どうしたってどうやったって一ミリ違うだけで全てが崩れる顔のパーツ配分。
若い時は 生きているだけで 健康があるだけで どれだけ幸せか という言葉なんて何にも 心に響かない どこかの言葉だったはずなのに。
生きている年数を貰えたというだけで
届かなかった恋心も、いまでは 心を 暖かく灯してくれる大切な宝物になっている。
振り向いてもらえないような相手への思いを 持ちながら 生きるのも悪いものではないと雪道を踏みしめる自分がいる。
かなわなかった夢よりも、今年実行したいことを決めて、1日1日それを実行しているだけの毎日だから、夢よりも 舌打ちする癖を直したい。 もう少し歴史のことを勉強しよう。 健康づくりを心がけよう。勉強しよう。ということだけ 追いかけている。
そして 受け入れてもらえない場所。相手。多くのことに受け入れてもらえないのだ。と、分かった心持で過ごしながらいると 段々と 段々とだけれど 来るもの拒まず去るもの追わず の 心持が 芽生えてくる。
これは 昭和のプレイボーイ 恋愛上手と呼ばれる人たちの 合言葉だと思っていたけれど。
受け入れられることを目標にしてしまうと、受け入れられなかったときの我慢が足りなかったんだな…あたし。と、やっと気づく。
来るもの拒まず、去るもの追わず
昨今、気に障ることを言われると すぐに 人との関係を断ってしまうというようなちょっと幼児性の残るパターンの大人が増えている中で こんな 飄々とした 大人な人がいたら いかすなぁ と 惚れてしまうかもしれない。
買い物しない日
汚らしい画像で失礼します。
前に偉そうに 冷蔵庫で おおかた、食べ物をダメにすることが少ないと、語ったことがあります。
どうしてそれが出来るのかな。と、思ってみました。
冷蔵庫を見渡せる状態にしておけばいい。と、それには、週2回買い物に行き。
大体3日分の食材を買い求める。3日分なので 週にすると 1日は、買い物をせずに、冷蔵庫にあるものを使って料理をする日。と、課すリズムが出来上がる。
ぬか床は、実に便利なもので、ちょっと余った野菜を入れておき、食す。ビフィズス錠剤などいらないくらい、日本人にあった発酵食品だと思う。
そして、煮野菜(煮サラダ)は、野菜をベーコンや ハムなどの塩気と 塩だけで味付けしていった 野菜本来の味を 楽しむ一品。
冷蔵庫のものを空にする日。買い物に行かない日を1週間に1日、その日は冷蔵庫にあるもので料理。と決めると 大体 冷蔵庫はきれいでいてくれる。
不思議だ
2月に入り 少し経った頃に 気持ちが騒がしくなるのは何故か。
大体 2月の満月が欠けてくると共に その兆候は現れる。
月の満ち欠けと共に、神秘的な自然との融合がいち生物である自分になにかを問いかけてくるのだろうかなどと、思うようにしながらだましだまし過ごそうとしているけれど。
2月も後半になると、はっきりと分かってくるのでした。その原因が全て税金関係にあるということが。
この2月というのが一番嫌いです。
人の心も落ち着きを失くし始めるのは、これは 確定申告 他諸々のことだったり、春の変化の忙しなさで…情緒が不安定になっている人も多くなるような。更にここ近年、落ち着かない出来事の多くなっている世界情勢とあって、これまで以上にざわざわとしたものが伝染しやすく感じる。
そんな中で、この寒気に梅の花の咲く頃に、ゆったりと落ち着いた空気を纏っている人は、実に魅力的に映る。
お洒落とは、魅力とは、みための造作ではなく、身に着けているものなど全く関係なく。その人の中から漂ってくる心意気。心の在り方にあるのだと。気をつけて自ら身につけようとしている生き方の姿勢からくるものなのだと感じさせられるのが 2月である。
寒い空気の中に、そのような美しい存在感の人に出会うと、心の中に花が咲いたような気持ちになる。
Driving
自分自身の運転は、マイペース過ぎて、ゆっくりすぎて、他者を苛立たせていると思う。とにかくゆっくり。それは自分にとっては人身事故が一番の恐怖であるからです。</p>先日、雪に隠れた道路が凍てついているに違いない朝。
二車線ずつの道路を樹木の分離帯で隔てられている自動車道。下ってくる方からは、左に住宅が連なり、分離帯と反対車線の右向こうには競技場や、テニスコートなどがある道を、私は ゆっくりと マイ軽カーで下ってきた。
あの道は結構、早めにブレーキをゆっくりと踏んでいかないと、冬道は恐ろしいことになる。
一度、時速、それでも40キロくらいの速さで下ってゆき、夏なら当然くらいのところでブレーキを踏んだ。が、止まらない 停まらない・・・ 目の前に横たわっている北一条の雪のない道には、車がビュンビュン飛ばしていた。止まらなかったら、あそこへ突入になってしまう~~~という、あの恐怖から、必ず、雪道はゆるりの速度に早めのブレーキであった。
その朝は おそらく、そのかつての私のような恐怖心を持ちながら止まったであろうらしき車が、大袈裟でもない約90度くらいの角度で信号の横断歩道を越えて停まっていた。</最新のBMW、かっちょいい高級車だった。私はその車の後ろで信号を待った。
信号が青になった。前を向いていないBMWも右に曲がる。
BMWは角度の問題で、北一条の三車線道路の一番外側に一度はいるのが自然の状態だった。
北一条道路の横断歩道が、まず 真っ先に 右に曲がる車を待ち受けている。
横断者が歩いていた。右から左に渡る人であったので、右の車線にいてしまうBMWは歩行者を待たなければならない距離にいた。
しかし、私の位置する真ん中には、まったく人の影もなし。右から歩いて渡ってくる人を待つのも少しばかりおかしい間があった。それになにより、後ろには数台の車が連なっていた。
横断歩道の歩行者が目の前に来るには、結構の間があると判断した自分は、すーーーっと自然な曲線を描いて、北一条通りの真ん中車線にはいりました。
と、いうことは 隣にいるBMWを追い越したというかたちになります。
90度近い角度でのキリキリの停車。最新のBMW。そして追い越すときに感じた人影はまだ50前とみうけられる男性。
不穏な空気を感じないでもないが。仕方がないではないか。・・・まぁ きっと 北一条に入ったとたん 三車線の道で、このチビ太車を追い越してゆかれればいいことだし。
と、時速50キロくらいの速度で運転してました。
するとですね 右についているその車は、速度を ゆっく~~~~りと落したまま、このノロノロ運転の後ろを、ついたままです。
そして、神宮前にさしかかった時に、爆発的な音でスピードを出して真ん中車線に一度入り、そして私の車の前にスレッスレの感覚で一度カクッとワンクッションついてから、更にエンジンをブわあああんとふかし、いちばん左の車線に猛スピードではいってゆかれました。
呆気にとられながら、「おいおい もっと 余裕もとうよ・・・高級車なんだからさ」と呟く自分がいました。こんな軽のおばさんを威嚇してどうする…のだ?せっかくの高級車が泣くぞ。
それとも 私がしてしまった運転って、ものすごいマナー違反だということなのだろうか。
いま、これを書きながら スクールの駐車場をみていたら、ポルシェのすっごく大きな車が停まっている。私のこの疑問を、この車の持ち主に、この後、伺ってみようと思っている。
2月はチューリップとエラ・フィッツジエラルドの歌声
2月の空気には チューリップの花と、エラの歌声がしっくりとくる。と、2月中はチューリップの花を置き、帰宅しては彼女の歌声。そして休みの日には朝からずうううっと繰り返し繰り返し聴いています。
2月に響き渡る声。多くの人がそう思っているのか、2月には彼女の歌が色々なところでよく聴こえてきます。
冬のご飯
冬ご飯は、粕、味噌、麹、出汁そして乾燥させたものを多く利用することが多くなる我家。
それに反して夏は、トマト トマト トウモロコシ 夏野菜で毎日が暮れてゆく。
春は苦みのものがいいし。今年こそはフキノトウを蕾のうちにたくさん採るぞ! と意気込んでいる。
この白菜たちは 肉類と炒め物にすると たまらないいい味になる。
ゆり根は 今夜 素揚げして 色々な料理に展開してゆくのだ……。
美人
男の子には男の子の面白さがあり。また、女の子の話しも聞いてると、オモシロイもんだなぁ。と、考えさせられることがあります。
もうひと昔前。かれこれ十年ほど前に初めてThompson Internationalにやってきた女の子がいました。北の方にある中学校の制服を着ていました。
頭のいい子でした。
また、頭がいいことに重きを自身でも置いていました。
お母さんと反りが合わないらしく、お母さんへの不平不満を漏らしていました。
わたしは その子に言いました。Nちゃんさぁ あなたの言うことが本当なら、水上さんはある機関にそのことを通報しなければいけんのだよ。本当なの?と ズケッと聞くと それからは 激しいことは言わなくなったので まぁ 通常に起こる親子喧嘩の範囲とみなしながら、彼女が勉強の合間に色々な発言に耳を傾けていると、13歳、14歳の小さな身体でも、すっごいこと考えてるもんだなぁと感心することがありました。
いまでも鮮烈に覚えているのが 彼女が高校生になった時に こんなことをブツブツ言っていました。
「わたしはあまり、美しさというものに基準を置かないです。なぜなら美はいつか自分を裏切るから。美というものを職業として生きていける人たちは 選ばれた人たちのなかの極、少数でしかないし。その 少数パイのなかの これまた 少数のものにかけるようなそんな 恐ろしいこと よくこの人出来るな レベルの人が その枠を狙いすぎていると 水上しぁん 思いましぇんか?」 ← なぜか さ と し が こういう風に聞こえる話し方をする子だった。
「厳しいこと言うねぇ」
「その点、勉強は決してその努力を裏切らない。そこに費やした分、それなりの結果が返って来てくれるもの。それは頭脳への投資だと思います」
「はぁ…」
「だから、自分は もしかすると自分は美人になろうと努力すれば、なれるんじゃないか?だなんて思ってしまう美人には生まれなくて良かったと思ってます。いいんですこれで」
「Nはかわいいと思うけどねぇ。なんか独特のムードもあるし」
「やっめてくださいよぉ。こんな男顔のあたしを怖がる男は大勢いますけどね。よく オマエって、世界の村で発見こんなところに日本人 に出てきそうなタイプだなって言われます ( ̄∇ ̄;)ハッハッハ・・・。 まぁ でも 美人と呼ばれる人生よりも 面白そうですけどね」
「…… でもさ 美人って 気分いいだろうねぇ…」と 私。
「そうですかぁ」
「そうよ。あたし 見てしまったのよ。美人の世界を。それはね… あれは 私がまだ19歳くらいだった時だった。 まぁ きれいな同級生がいたのよ。 たまたま、その娘(こ)と、下北沢でバッタリ。なんとなく流れで駅までの道のり歩いたのよ。
するとよ するとっ!! 道にいる男ども 老いも若きも の視線、全員の視線がよ その子に 一斉に ぶぁあああっと 集まったの。 ……後にも先にもないわね。あんなに男の人の視線が集まった世界に身を置いたのは」
「へええ… 水上さん それってどう思いました? トモダチはどんなんでした?」
「感心して、すっごいね。と 言ったわよ。 そうしたら そのトモダチ というか 同級生だわね。 その子は いやなんだ って言ってた。その時は うっそ と思ったけどね。でも、今になると あの子、本当に嫌だったのかもしれない って 思うことある。美人の苦労っていうのも、あそこまでのレベルにいくとあるのかもね。八百屋さんで奥さん美人ね とか褒められるくらいが ちょうど良い感じなんだろうね 生きていくうえではさ」
「美人の苦労。本当にあるんだろうか?」と 懐疑的なNちゃん。
「あるさあ きっと あるよ。美は人を裏切るって、さっきNちゃん言ってたじゃん。 頭の良い人が自分の頭の良さに裏切られることがあるように、まぁ どちらにも 平等に老いは訪れる。その前にも 色々な表情で、試されることあるんじゃないの?」
……と、そんな話をしていた。
彼女は慶應義塾大学を一般入試で合格した。
一般入試で通過したのは 大したものだ! と 東京へ行った。
が… コロナの時期も重なったことと 学校にうまく馴染めなかったのか、彼女は学校を退学した。
そして あるところを受けるために 再びThompson Internationalへ戻り受けた第一志望はむづかしかったが 第二志望の京都の大学へ復学することを決意し、去年の春に旅立った。
電話口で彼女は、こう言った。
「行ってきます。東京よりも京都の方が自分のペースに合っているようにも思えたことと、私は競争、競争でいかなければいけない世界。実は 苦手だったんだってことに気づきました。自分らしいペース 自分らしい生き方をみつけに大学生活、今度こそは失敗しないように がんばってきます」
「京都は大学生には優しい街だってきいてるよ。 楽しんでおいで 人と競争するより もう十分に多くの力があるんだから 競争は もう やめな。 ゆっくりと いい時間紡いでおいでよ。 そんでさ 恋のひとつでもしてさ その人にNちゃんの あの味のある いい笑顔むけられるような そんな出会いがあればいいね」
あれから 一年が経つ。 2年生に彼女はなる。
京都でいい時間を 持っているだろうか。 あの負けず嫌いな 頭の良さで人と比べたいという そこを 抜け出せるような 毎日を生きているだろうか。
お医者さんとの会話
お医者さんっていうのは実に形容詞の使い方の上手い人が多いなあというのが自分の感想です。
「お母様は備長炭なみの骨密度ですが、問題はお嬢様あなたです」とか「血統書つきのアトピー性皮膚炎」とか…
うまいこと言うな。…と、プッ…と吹き出してしまうそんな先生にあたることの多い自分です。
面白い言葉でも使っていないとやりきれないことの多い職業だから、工夫しているうちに生まれてきたボキャブラリーの数々なのでしょうか。
……に、しても おもっしろい先生だったなぁと今でも忘れられないのが
総合病院の耳鼻科のY先生。
もとヤンキーですか あなたは? というくらい言葉は乱暴なんだけど、面白い人でした。
いまから4年程前でしょうか原因不明の病に倒れた私でした。口内炎が喉、食道にまでビッチリと出来ました。夜になると気道が腫れ始めて呼吸が出来なくなる恐怖に何度も襲われ、いまだから 笑って語れますが。その時は実は命落とすかなぁ。と、日に日に弱っていく自分がいました。夜、眠れなく、とにかく喉の痛みは尋常ではなく呼吸が出来なくなるかもしれないという恐怖に 身体の芯が 細り細りと、火が消えてゆく感じの中で生きていました。ああなると不思議なもので、人は生に対しての欲望が薄くなるのです。死んでもいいかなぁ…とどこかで思っている自分が出てくるのです。
母のところにマッサージに来るIさんが、A子さんすぐに病院(大病院の名前)にかかるように!と 血相をかえて私に指令を出しました。
街角の小さなクリニックではだめ!すぐに!と…あのときの表情はいまでも忘れられません。 彼女は看護師の免許もあり、経験からの言葉でした。
さて待たされること覚悟で行った、N病院の耳鼻咽喉科は、その時期、意外と空いていて
通された部屋で、声の大きな威勢のいい男の先生が待っていました。
私の症状をみるなりに、「入院するか?」と聞いてきました。
「入院は避けて、なにか良い方法ありますか?」と聞きました。
「毎日、点滴に来るように。そして今日も点滴を打っていきなさい。血液検査もその点滴打っている間に出てくるから、まず ゆっくりしていくように」
と、点滴が終わって、いざ 血液からの結果発表。
「……が、なぁ… 懸念しなければならない数値が全く 血液にはみあたらないんだよなぁ。と、なると、これまで他の医院から処方されていたヘルペス性のものの薬を、今後も出すわけにもいかんし。他の医者のすることを批判するのは品よくないけど、そのヘルペス用の薬のんだところで、むっだら効かなかっただろ」
「せんせい… むっだら…って いったい何処のご出身ですか? (苦笑いしながら) まぁ ずっと苦しいです この苦しさから救ってくれる薬を出してください。もう なんでもいいです。モルヒネでもなんでも 出せるものなら出して」と 私は乞います。
「だよな…苦しいよな でも 申し訳ないが そうじゃねえか?ってことで 薬は勝手に出せんのだよ。でな これ もしかすると 食道 胃腸の方から この疱疹のようなものが発生している場合もあるかもしれないから 今度は胃カメラのんで、まず様子をみることにして。その間は……」と、言葉を途切り、一瞬絶句のような形をとります。
「先生、なんですか?」と 私は悲愴に問います。
「その間は…… ブッ(笑いをこらえる様に) 悪いな…… その間はこれで我慢をして耐えてくれ」と痛み止め(薬局でも買えるような あの痛みとめる薬)とトローチを私にみせながら、申し訳なさそうに けれど なぜか 笑いながら これからの方針を説明していました。
それから毎日、行きましたよ。点滴。
その間、胃カメラ検査。食道には若干あるものの 深刻なことではないと診断。
そして 血液の癌なのではないか?という見方から その科にも行きました。
まったく 問題なし。
でも、点滴のおかげあってか 問題は少しずつ解決してゆき、なんとか爛れはひいていきました。 ものも食べられるようになりました。
それから少しずつ体力をつけて 回復に向かってゆきました。
先生との問診で なんか笑ってしまっているのことしか覚えていません。
深刻な病でなかったから、そんなことで良かったのでしょうけれど。
深刻な病でも、どこか笑いを持ってアプローチしてくれる方が ありがたいような気もするなと思っている自分がいます。
小学生との会話
小学生っていうのは面白いこと言うもんだなぁ。と感心することの多い私ですが
昨夜など 小学高学年のHちゃんとの会話がこんなんでした。
準1の練習をしながらの会話です。
「でもさぁ Hちゃんが 小学生で準1受かっちゃったらさ またもや Hちゃんに続けの後輩が増えるのではないかい?」
「えええ? そんなのないですよ」
「そうかなぁ… Hちゃん 2級小学4年生で受かっちゃうのすごいねぇ って 後輩たち何人かいま2級と格闘しているよん」
「ああ それは 親だけですよ。親だけ(笑) 子供たちは み~~~んな 仕方ねぇなぁって勉強しているだけですよぉ」
「えええ 絶句。とは 言いながらも そんなもんだよな 子供は確かに そんなもんだと思う」
「へへへ そうですよ。でも仕方ないなって 親に付き合って勉強しているペースが自分のものになってきたりして てへへ」
「すっごいじゃない。それでも 付き合っていける能力。大したもんだ。でも わたし 最近になって 分かったことがあるんだけど。 あれ 頭のいい子ってさ……例えば記憶力がいい子って、自分で記憶力がいい。と若年から気づくわけじゃない?そうしたらさ、その己の記憶力の良さを誇示したいから周囲に語る。自分の記憶の確かさを誇示する気持ちで周りにそれを言いたいじゃない?周りが感心するようなことを。すると そのうちに 益々 そのおかげで 記憶がより定着してゆくという羨ましい循環にいるんだよな あれ」。……と、感心して言うと。
「そういう人いました。いました。しかも後ろの席に。ずっと一人で 変に妙な事に詳しい人がいたりしたんですよ。一人でブツブツとずっと語っているから、周りも感心して聞いてあげたりする素振りで付き合ってあげていたんですよ。すると、もう滑らかになり滑らかになり、その分野(宇宙とかそんな世界のはなし)のことは相当なことまで知っちゃう人になりました。その人、記憶力は確かによくって、家に帰ってご飯食べた後に、夜必ずその日にあった出来事を30分間、親にプレゼンのように聞かせるっていう人でした」
「付き合う親もエライね」と、私。
「はい。えらいと思います」とHちゃん。
その後、記憶を定着させるには、記憶力に揺るぎのない自信があり、それを自慢げに語れる人が一番、効率よく色々なことを記憶できるよなぁ という話に落ち着きました。
Hちゃんは自分はそれが出来ないと 言います。 あれだけ 勉強できるのに。
じゃあ 水上さんは どうすればいいのか? 見たものを一回で憶えるだなんて幻の世界。一回聞いたことはすぐに記憶喪失。しかも数秒前に聞いたことが怪しい。
どうすればいいのか? に、関しては そういう人のことは分かりませんが…と、私のことは ひとつ 置いておかれ。
Hちゃん いわく、勉強は スイッチが入るまで、面白い空間を作るようにしてます。
そうじゃないと 自分の場合は いやになっちゃってやめちゃうから。ですから こうやって準1の準備をしながらも、自分のペースをわたし、意外と守ってるんですよ。笑いながら水上さんと話したり、その時間に楽しいことを組み込んで、ここだ!という瞬間がきたらスパート、気合をいれるんです。 それが 自分のパターンだと思ったりしてるんです。
「あなた…小学生だとおっしゃるのに、また、随分と早くから、ご自分のことをご存じで。えらいわねぇ……」と 感心しきりの私。
「それは、親に勉強 勉強と 言われ続けた 小学生の強みです」
「えらいわあ…。わたしが50歳くらいで悟ったことを すでに会得しているHちゃん。尊敬するよ」
と、トホホとほんとに頭が下がります。
冷蔵庫の使い方。自分流
一つだけ、自慢できることがあり、それは冷蔵庫のものを自分は大体、使い切ります。
冷蔵庫でダメにするということは、ほとんどないと思います。
反面教師というものがあるとしたなら。私の場合はそれであるのかと思うほど、母親はまず、ものを腐らす人でした。食べ物をダメにするために冷蔵庫にわざわざ入れているのではないか?と、疑うほど、見事なくらいに 青物ははじっこが茶褐色となり、肉類は色が変わってしまっている有様が、彼女の冷蔵庫でした。
その割には いつも冷蔵庫掃除をしなくちゃしなくちゃと 言い聞かせるように月に一回くらいは 冷蔵庫の掃除をしていました。
わたしはそれを見て、なにかおかしいぞ。絶対に変な行為だなと 子供心に感じていたのでしょう。
冷蔵庫でものをダメにするということのない台所仕事ができるようにはなりました。
そのコツは、みわたせる冷蔵庫を管理することだと思います。
ものを詰め込むのではなくて 見渡せる状態を管理。
いまでも母の冷蔵庫をみると瓶詰のもの。加工食品の類が多いです。
それは彼女の嗜好によるものなので、あまり非難はしませんが。 買ったものをただ冷蔵庫にそのまま入れるから 忘れてしまうんだよ。 と 先日は ついに説教をしました。
お肉を買ったら 下処理をして ひと手間かけてから冷蔵庫に入れる。
それもせいぜい3日分。
例えば 鶏肉、ラム肉に鮮魚を買ってきたとします。三日間分です。
それを鶏のささ身の部分は、今晩、カラリとパン粉で揚げたものにするとしたら まず洗って、塩と玉ねぎをもみ込み、調理していきます。その時にラムも玉ねぎとニンニク、酢、メープルシロップ少々、そして塩とオリーブオイルでマリネします。それは明後日のもの。そしてマグロのさくは翌日に漬けにするとしてキッチンペーパーで水分をとることを目的に違うバットで保存します。翌日用です。
野菜だって買ってきた分を次の買い物まで大体使い切る算段で茹でたり、下準備したり、なんらかんら手を加えます。
すると、次の買い物まで 大体 野菜室もガランとして、あるのは玉ねぎ、ジャガイモくらいになってくれます。
そして保存食も大体4種類くらいと決めます。
調味料もさっささっさと、酢、八方酢、ニョクマム系のものや ケチャップ マヨネーズも 回転よく 回転よく そのために 子供のいないコンパクトな生活は コンパクトなサイズを調味料は求めます。
子供さんのいる家庭は羨ましいなぁと思うのが 大人数分の料理を作れることです。
大人数分作ると、味が美味しくなるものってたくさんあります。
ですが、そこを ぐっ とこらえます。調理する時は 多く作るにしても精々人数分プラス2人くらいです。作りやすい4人分までが我が家の限界。やはり 食べるものは さっささっさと消費してゆく 作り置きをすると冷凍庫で眠らせてしまうことになるので 味も落ちますし また 期限アウトになる危険性大です。
食べるという行為は、体を作ることと同時に、楽しく、そして、死にむかって畳んでゆく消えてゆくという行為に繋がるのかなぁ…と冷蔵庫のものが きちんと 消えてなくなってゆく姿を見送るとき、死んで消えてゆく姿と重ねている自分がいます。
そのイメージを持てば いつも、サラリと死んでゆきたいと声高に願い語っている母も、冷蔵庫のものをダメにすることも減ると思うのですがね。