徒然日記:A.M.T
Hospitality Spirit of service or entertainer サービス精神
何処へ行っても、言葉がけがよくて、お友達を作れる人というのは偉いものだと、頭がさがる。
無理していないで、本当に人へのサービス精神があるから、本人は決して疲れない。そこが肝心なのである。とても会話上手で、人好きのするタイプの人と他人にうつっても、どこかで無理をしながらそれを演じていると、当の本人が神経を消耗してしまいある日突如、電池が切れるというようなことがあるから、社交も本人の体力、気力、諸々に見合わせてでいいのだろうなと、割り切りながら 第一印象、暗い人のままで…… そこからの努力もないまま存在しつづけていた。
が、ここ最近、これは自分の努力不足だな。と、気づかされるほどサービス精神の旺盛な人と会うことが重なっている。
人と会ったら会話を提供しようというサービス精神に満ち溢れている人は、他のことにも自分の出来ることを探している人が多いことに気づかされた。
髪の毛の寄付をしていたり、なにか世の中に出来ることを実践している人は、自家発電力が強いのだろうか。人に発する言葉、態度のなかに いい波動があるから、人を呼ぶ力がある。
わたしは人と話すことが苦手。人付き合いが苦手と 自分にポーズをきめて気取っている場合じゃないっしょ……と 自分が恥ずかしくなるくらい 前向きなんだろうなと、サービス精神に満ち溢れている人たち Full of hospitality spirit の方々には ホントに眩しさを感じる。かと、いって 自分が彼女たちの真似を辿っても、自滅の道しか目の先にはなく。まぁ とりあえず
お手本 Role model Good example
今年は例年より温度が上がらないですねぇ。
寒い寒いと言いながらも、庭の草木は待った。が、利かない。
トンプソンの土木工事と、庭の草木と同時進行に何事が進めていくことで やっとなんらかの形がつくようです。
それでも庭の空間は、なんらかの手を加えると、雑草取りをしたり、土を掘り起こし腐葉土や赤土、堆肥を加えたりすることで、表情が変わる。
とはいえ、すこぶるセンスの良さを醸し出せるほどには至らなく。
これは 理由はなにか……を探るべく、庭のある家で オッ!と思うお宅の前に車を停め、しばし観察する季節となりました。
今年もやはり、この地区では、あの黄色い窓枠のお宅が群を抜いてぴか一。
なんでなんやろか? と、 ぼおおおおっと 運転席から眺めていると、庭仕事に出入りしていた家主さんと目があってしまい。にこりと会釈はしたが 不愉快に思われただろうか。美しい庭にみとれていたのです。おおっ!とか 独り言をいいながら。と伝えたい。
さて、色味のセンスと やはり背景に対するこだわりが Keyなのでしょうか。
目指すはフランス人のセンス。壊れた鏡を配置する必要はないと思うけど。一枚の絵のように、スケッチするように花を配置してゆくのですなぁ。それに加えて、竹でバックを引き立てたり、みえないように針金などを使って凹凸つけたり。土と光と、絵に仕立て上げるべくめりはりと、樹木、自然に対する愛情が、庭を天国に近づける……と、まだまだ新米数年生の身としては、遠い道のりにため息がでる。
それに、鉢をうまく使っているのもいいなぁと思ったり。
もう少し 札幌に雪の到来が遅かったら。せめても 春の到来がもっと早かったら。と思わずにはいられない季節です。
そとまわりの掃除
以前、住んでいた家のお隣の90代のおばあちゃまが、そとまわりの大切さをよく言ってらした。
お商売している家は特にね。なにがあってもそとまわりは清めないとお話にならないって私たちの時代は教わったよ。北海道でも昔の人はそう教えられたんだと、わたしは感心して聞いていた。
いつから、そんなことを言ってくれる人が少なくなっていったのだろうか。
せっかく食べ物屋さんをしているのに汚いゴミ箱が前に置いてあったり。傘立てにいつからあるのか分からないような傘がずっと置いてあるようなお店が名店とうたっていたり。
まず、上に盛ってゆくなにかよりも、整理整頓、清めることだと私たちは本能的に知っているのに、なかなかそれが出来ない。日々の暮らし、精神的に煩わしいことがあったりすると身体が思うように動かなかったりするから、その身の振り方は十分に理解できる。
家、店の前を掃く。水をうつ。汚いものを清める。その行為だけでいい筈なのに、なかなかそれを実践できずに、冬になってしまうのが雪国の宿命で、そとまわり掃除が身につく時間に限りがある。
Antique
生きていたのなら、133歳くらいになった私の曾祖母は、小学校をあがるかあがらないかくらいの年に、石川県の田舎町、つばたというところから北海道のあづまという町にある親戚の荒物屋さんへ奉公人として、船と列車を乗り継いでやってきた。
日清戦争の時に繭相場で大損をし、多額の借金を抱えた曾祖母の親は、いちばん上の娘をお金を借りた親戚に売った。と、いうことになるのですね。
風呂敷を背負った小柄な少女は、まず、小樽港へ着き。
そこから列車に乗り、札幌の街灯りを最後にあとは荒野の暗闇の中を、あずま村へとひたすら走ってゆく列車の中で、遠くまで来てしまったものだなぁと涙が止まらなかったという話は、母から聞いたことがあります。
何故私の母がそんな話を知っているのかといえば、母は曾祖母に育てられ成長しました。
母の父親、(曾祖母の息子)は戦死し、彼女の母親は違う人と再婚するために嫁ぎ先を出ました。
残された母は、父親の生家でとても可愛がってもらって成長することが出来ました。
息子の娘、孫娘を食べるに困らせるだけではなく、教育もしてくれ女子大にまであげてることの出来た曾祖母という人は、あずまの荒物屋さんには子守、家のことをする手伝いとしてやってきたそうです。
が、数字、そろばんが良く出来て、頭がはしっこかったらしく、家の中にいれておくよりも店に出した方が使い勝手がいい。と、店主は思いました。
12歳だった少女が18の年になる頃には、お店の片腕として役に立っていたそうです。
そうしてある人と結婚をし、独り立ちしました。
数字に強かった少女は、商売の才がありましたが、戦争で頼りにしていた最愛の長男を失くしました。そして才のある分に見合う、敵の多い人生であったと私たちは想像をしています。
こんな逸話があります。
Y子ちゃんという親戚のお姉さんが、ある時まだ、曾祖母が健在で、それでも80を過ぎていたころ、白川郷へお友達と旅行をしていた時のことです。石川県から来ているおじさんたちが まだ うら若かったY子ちゃんとそのお友達に話しかけてきて、彼女たちが北海道からだと聞くと、「北海道から来たの? へええ ****という町なら、西川キクという婆さんを知らないか?」と、北海道=西川キクという速攻さを持って 尋ねてきました。
驚いたY子ちゃんは、それでもそのちょっと苦みの含んだ問いかけに、返答を躊躇しながら、「あの……すみません あの その人 私の祖母です(←彼女にとってはお祖母ちゃん)」と答えたら。 その石川県の金沢で呉服屋をしているというおじちゃんは Y子ちゃんよりも もっと 驚いて、それまでの話の方向性を、急遽転換させました。「そ…それは驚きだ。いやあ お元気な方で、私たちの中では、なかなか いや 勉強になる方なんですよ」と とってつけたようなことを言ったのだとか。
米屋と呉服屋をしながら、北海道の空の下を懸命に知恵を働かせて生きた痩せっぽっちの曾祖母は、お米を(その当時は荷台に積んでの)取引の際に、早く荷台から下していい場所を陣取った方がいい条件がつくことを知っていて、そうするには 荷台から下してくれる人手の大切さをよおく分かっていて、お菓子やなにかを必ず持って行き、一人一人に手渡しし、どうかお兄さん方、次回も西川の荷台をどうか贔屓によろしくお願いいたします。と、したのだとか……
同業者では、当然 面白くないと思う人たちも多くいたと Y子ちゃんと二人、苦笑いしながら、その話をしました。
その曾祖母が、いまから80年以上前に、なにか見栄をはる出来事があったのでしょうか。写真のなかの輪島塗の漆器を数点求めました。
そのひとつが曾孫の私の手元にきました。
当時、高価であったかどうかは分かりませんが、現代はもう、このような品は創れないな。ということは手にとり、感触で分かります。作り方の工程が素材から違うのでしょうか。感触が現代のもののそれとは違い、存在感があります。
曾祖母が、石川のつばたという小さな村から、北海道にやってき小さくはありますが店を構え、知恵を働かせ、子孫をつくり、子孫を持たない種がここで絶えてしまう私の処へこの品が来て、彼女が 晩年、つばたは富山寄りだったから、色街へ売られないですんだけれど、これが金沢に近ければ色街へ売られていたんだろうか……。と、呟いたことがある。とか。
でもなぁ おばあちゃん おばあちゃんは 色街へ売られるほどの器量がなかったから大丈夫だよ。と、台所でときどき パンやお菓子などを入れるこの漆器に語りかけます。
東京ダイアログ
こんにちは GW、札幌は寒かったですね。
今日あたりから少し温度が上がってきた感じがします。
休みに入り、少しばかり特別授業をさせてもらいながら数日過ごし、エイッ!と、トンプソンと二人東京に行ってまいりました。
目的は ロバート・キャパの写真展。恵比寿写真美術館というところで展示しているのだとか。
朝の7時半の飛行機に飛び乗り、ホテルに荷物だけ置かせてもらい、公共の乗り物を乗り継ぎ目的地へ。
よかったですわ 思い切って行ってよかった。そして午後はお互いに自由行動。
トンプソンは銀座へ。わたしは青山へ。ブラブラと徒然に。
歩くだけ歩いて、夜、歩数をみたらなんと二万歩。まだ歩けるんだ良かった。と、ホッ。
そして翌日、生憎の雨のスタート。それでも目的は東京国立美術館と東京近代美術館。
東京国立美術館はさすが日本国。持っているお宝が、半端ないのね。と、圧巻でした。
あの、日本近代油絵の巨匠和田栄作さんの絵の前ではうっとり。
雨脚は止みません。
近代美術館の地下で甘いものとコーヒーをとトンプソンと二人席に着くと。
皆さんとっても静かだというのに、隣に居合わせたマダムたち4人くらいの席はとても賑やかで。
雨の日だというのに小鳥のさえずりが聞こえるようでした。
二科展の作品展も同美術館で行っていたから、きっとその会員の方たちなのかな。東京の人独特の話し方で、サラサラと表面を通り過ぎてゆく感じの話し方。
こういう話し方、自分も意識してしていた時があったな……。東京ではそういう話し方の方が受け入れやすいと分かった時から、あまり重々しくない話し方を意識してしていた自分。
生粋の東京育ちの人たちは、それが馴染んでいたのでしょうけれど、北の生まれはどこかで無理をしていたから、いつもどこかに違和感が潜んでいて、それが孤独な気持ちに繋がっていたのかな。いまになるとそう、感じます。
それにしてもマダムたちの中でも群を抜いてお喋り上手というか 口のまわる方が一人いらして。
カツラを新調されたのだとか そうしたら 若くなったね ってあるおじさんから言われたのよ。そのおじさんがね、普段は無口な人なの。なのに 突然 ボソッと 若返ったねだなああんて 言うのよ。びっくりしちゃった。あれ だまっててもみてるのねぇ。
そうすると 他のマダムが いやあだ でも それって セクハラっていわれちゃうんじゃない?
私たちのもう一つの横には じっくりとした感じの芸術家肌の二人の紳士が座っています。
はらはらしてしまう わたし。
それでもお構いなしに さらりさらりと無責任すれすれの言葉たちを羽のように飛ばしてゆくマダムたち。
ちょっとふりかえると マダムたち
私よりも年上かな 60代はいっているかな
ふふふ と笑いが こみ上げてきそうな私。
言葉は重くしない方が 都会的。
ほんとにそうね マダムたち。
言葉は 軽く軽く それでいいと思わせてしまう都会の空気。
流れるように、人と関わって 重苦しいものを求めない。表面的でもそれ以上に何があるというの? ということを提示してくるような話し方も
そこに その場にいるときは お喋りの花を咲かせること。 それで十分。
そんな風に都会の人の声は私にささやきかける。
そう、それで十分なのかもしれないと、隣にいるだけのわたしは頷きかえす。
GWお休みのお知らせ
2025年は4月27日より5月5日までGWのお休みを賜ります。
6日火曜日は祝日ですが、OPENしてます。その日にレッスンの方たち^^! 確認の連絡は発しておりますが 改めて お伝えします。
また、試験に向けての特別講座は、ご予約いただいた日程でお待ちしています。
GW 事故のないように。
少し 北海道も暖かくなると良いですね。 桜が咲き始めています が まだまだ 気温は寒い日が続くようです。体調崩されませんように。
書くこと
前に比べて、こちらのブログにあまり 散文を書かなくなってしまいました。
理由は二つあります。
ひとつは、小刻みな時間が前に比べて少なくなりました。 ここ数年、こんな私の授業をご希望してくださる生徒さんが増えました。
ありがたいことです。その 期待を裏切らないように 結果を出せるようにと 願いながら教えさせてもらってます。
もうふたつめは、
ある文学学校に入学しました。通信教育ですが こちらは二年目になります。
おかげさまで 嘘みたいな話ですが その文学学校の同人誌に、推薦を受けて 2回ほど自分の文章が掲載をされました。
チューターにとって色々な思惑要素の含んだ結果の推薦であるとは思いますが、冊子に印刷をしてもらい、全国の匿名ではない、同じ志を持った人たちの文章に対する評価を聞ける機会を持てるということは、書き手冥利に尽きる貴重な時間です。
小説を書くなどやはり無理だと、一回目の掲載を幸運にもいただけた後、実は諦めかけたことがありました。締め切りまでに書き上げる文章が、どうやったって浮かんでこないのです。どう 何を待ったってどうしたって浮かび上がらないのです。よく、何かを書き上げるのには毎日書くことだと 人は言います。ですが、物語を綴る才能のある人というのは特殊だと毎日PCに向かおうとするたびに打ちのめされるのでした。
ついに事務局に、自分は小説は無理だと思うのでエッセイクラスに今年の春より移りたいと希望を告げました。そして エッセイを提出つもりが、ある朝、夢をみたあとに、あ……これを書きたいと思うものが 脳裏にずっと残っていることに気づきました。
そして 日曜日の朝に 書き始めました。 気が付くと 日が暮れて 夕食を作らなければならない時刻となっていました。
その二回目のものが 掲載されると一報をいただいたときに
嬉しさと また 時間を忘れて出来るものは 自分には 書くことしかないことに気づかされました。
他の何もなく 料理と 書くこと この二つくらいしかありません。
それを大切にしようと思います。
時間を忘れて、出来るものを大切にする。その真摯さを身に着けようと、この春、目覚めました。
台所
NHKの 人と暮らしと、台所 という番組、楽しいです。
それぞれの台所があって、あの いぶし銀の台所のお二人の台所、素敵だったなぁ。
私の台所は そうだなぁ 一番の息抜きの場なような気がしています。
ワインを片手に、 それでも 集中しながら 包丁を使い カブと葉の部分を分けます。
包丁で カブの皮を剥きます。 二つ分は浅漬け用に半月型に薄く切ります。残り4つは糠漬け様と、野菜出汁で炊くようと四等分に切ります。そして 分けておいた葉っぱの部分は細かく刻み
ごま油で炒めて、水気がとぶまで炒めます。そこに出汁つゆを希釈したものを入れ 水気がなくなるまで再び煮炒めしてゆき、ある程度のところで鰹節と赤唐辛子の粉と白ごまを入れて。それにしておくと ちょっとしたもののアクセントになってくれます。
台所仕事がストレスではなく ストレス解消の方に思えるのは 素材があったら それを使い切りたい という願望が強い その達成感が好きなのだと捉えています。
今夜は 昨日 豚をかたまりで買ってきたから、それをさっぱりとしたローストにして、粒マスタード系のソースを添えて 昨日作った、カブの野菜出汁で炊いた物 それを お肉のローストにするときの最後の方に、一緒に焼き色をつけてもいけるかな とか 想像し始めるのが ちょうど この時間帯。子供たちが レッスンにやってくる このあたりの時間が むくむくと 今夜のメニューを想像しながら完成させてゆく時。
文章の組み立て
先日、ある番組で財務省の人たちが世界の投資家たちに国債をアピールし売り込みに行くという番組をみました。
日本国債を売るということは至難の技である上に、あちらは海千山千の世界を股にかけた投資家達。厳しい評価のうえに 英語をつかって売り込んでいかなければならない辛さ。
財務省に勤務するということは日本のエリートたち、東京大学を筆頭に有数の大学で勉強を重ねてきた人たちであるはず。それでも 厳しい状況で 丁々発止と交渉、売り込み力を持てるような英語力を持つということは 大変なことなんだなあ。そんな感想を持ちながら番組を観ていた。
ちょっとくらい英語が話せても、財務省の仕事に就ける人にはなれないわけで。
やはり 日本を背負っているような人たちに 多くの 重責が集まってゆく。
がんばれ!
Thompson Internationalでも
英語検定準1級 あたりを 目標に勉強している子たちには
まず 日本語で 文章を組み立てて それから英語にしてゆくという手法をとりながら
じりじりとした 亀の歩みのような勉強の仕方をとっています。
先日に引き続いてのお題 Should a high salary be the most important thing when searching for a job?
について
もうひとパターンの意見の文章と下記なります。
I think a high salary is the most importnat thing when searching for a job. I have two reasons. First, people need money to live well. I believe, for example it includes traveling around the world and having some good social life after their working time. It also includes having free-time in your life is very important. Money is necessary to enjoy freedom. These are the reasons why I believe that people should think about a high salary when they search for a job.
Second, gaining a high salary requires high skills., however, some people are finding that it gives a great meaning of their life to achieve something difficult.
With these tow reasons, I think a high income should be the most important thing when searching for a job.
英語を母国語にした人たちからすると 上記の文章は まだまだ つたないかもしれません。が、自分の言葉で一生懸命考え、そして それを英語に組み立てゆく
その積み重ねが どこにいても どのような職業に就いても 発する言葉を助けてくれます。
その力を持って Thompson Internationalを 巣立っていかれてください。
映画、本、マイペースの悦楽
先週の金曜日から、Thompsonはお決まりの3月、東南アジアへ出かけて不在。
ジッと同じところには留まることの出来ない、もう あれは病気だと半ば呆れながら 諦めるように彼の半生を眺めながらも。 持った性分なんだろうなぁ と 最近では 無事に帰って来いよ。 と 事故のないことだけを祈りながら、普段、彼との生活では没頭することの出来ない時間を、休みの日にすることが上手くなってきたように思います。
ネフレックスでも、普段 トンプソンさんがいるときは いくら いいよいいよ いくらでも好きなの視なさい。と 言われても 遠慮があり、なかなか 一人で日本語のものを観れずにいます。 それを! この週末に 一日 朝から夜までかけて 陸王 という役所広司さん主演の映画を観ることができたり。本を数冊 夜ご飯も作らずに はやばやと 布団にはいり読み耽りました。
一人の時間をこれだけ遠慮なく 観たい!と思う映画を観ることができたり。
読みたい! と 思う本に 充てられることが出来たのは 幸運でした。
陸王は 地面師 に続く 観きった感の強い映画でした。
役所広司さん 寺尾聰さん 竹内涼真さん そして ピエール瀧さんという 役者さんたち 役者さんたちが 出てくる場面場面で 全ての 色が違って映る そんなドラマでした。
私世代は 寺尾聰ファン。 ファンとまでいかなくても 知名度は高い寺尾さん。それでも
これまで 寺尾さんの役者さんとしての凄さというのは 全く 分からずにおりました。
ルビーの指輪謳っていた おじさん くらいにしか 認知出来ていなかった自分の時間を取り戻したい!と 食いつくように 彼の演技の色を追ってました。
人間の狡さ、卑怯さ、いろおおおんなものが入り混じって 入り混じって 善行に至れることの偶然性。 それを あの寺尾聰さん独特のお面相の含羞ある演技で みるものに じんわりと 伝えてくれているのですよ。
いやああ いいわあ と 惚れ惚れと ご飯作る時間もおしく ご飯チンして うめぼしと おひたしと 納豆ごはん 片手に いいわあ と うっとり。
役所広司さんが画面に出ると そこは なぜか 灰色に近い黒と白
若く美しい 竹内涼真さんが いると 透明感のあるグリーン
ピエールさんが 登場すると あの人は なぜか 自分の目には ターコイズブルー にみえる。
そして 寺尾さんは なんだろう なんというのか わからないけれど 昔 我が家にかかっていた 簾があって そこに夕暮れ時に かかってくる 西日のような そんな色。
役者さんたちは 色を持っている人が 残ってゆく。
その色を 納豆ご飯片手の人に 魅せてくれる。 すごい仕事だなぁと思わせてくれる作品をみれたことに嬉しかった休日でした。
ところで ベトナムにいるトンプソンさん 日曜日から音信途絶えているけれど 大丈夫かしら…